『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳)を、やっとつい最近読み終わった。だが、一度読んだだけでは、自分のものになったと思ってはいない。ただ、この本が読み応えがあり、二回目を読むのに値するものであることは間違いないことは分かった。生活において、人は、何が正しく、正しくないか、考えざるを得ない場面に直面することが多々ある。その時、自分が何を考え、またなぜそう考えるのかを見きわめるために、力を与えてくれるのがこの本である。
以下、私が気になった部分の抜粋。
アリストテレスは、寡頭制支持者と民主主義者を批判している。寡頭制支持者が間違っている理由は、政治的コミュニティの存在目的が財産の保護と経済的繁栄の促進だけでけではないからだ。いっぽう民主制支持者が間違っている理由は、政治的コミュニティの存在目的は多数派の思いどおりにさせることではないからだ。両派とも、政治的共同体の至高の目標を見過ごしている。アリストテレスにとって、それは、国民の美徳の涵養だ。善く生きる術を学ぶために政治はある。政治の目的は、共通善について熟慮し、実践的判断力を身につけ、自治に参加し、コミュニティ全体の運命に関心を持てるようにすることだ。
それならば、アリストテレスはなぜ、善良な生活を送るには政治への参加が不可欠だと考えたのだろうか。政治抜きには申し分なく善と徳のある生き方ができないのは、なぜだろうか。答えは人間の本質にある。都市国家に住み、政治に参加すえうころでしか、われわれは人間としての本質を十分に発揮できないのだ。アリストテレスは人間を「政治的共同体をつくる生き物であり、その傾向はミツバチをつくるほかの動物よりも大きい」と見ている。その理由を彼は以下のように述べている。自然は無駄なものをつくらない。ほかの動物とは異なり、人間には言語能力が備わっている。ほかの動物も鳴くことによって快楽や苦痛を表せる。だが、人間に特有の能力である言語は、快楽や苦痛を表現するためだけにあるのではない。何が正義で何が不正かを断じ、正しいことと間違っていることを区別するためにあるのだ。人間はそうしたことを沈黙のうちに把握してから言葉を当てはめるのではない。言語は、それを通してわれわれが善を識別し、熟考するための媒体である。アリストテレスによれば、政治的共同体においてのみ、われわれは人間に特有の言語能力を行使できる。なぜなら、都市国家においてのみ、正義と不正、善良な生活の本質などについて他者と討議できるからだ。つまり、われわれがみずからの本質を十分に発揮するのは、言語能力を行使するときだけであり、そのためには正しいことと間違っていること、善と悪、不義と不正について他者とともに考えなければならないのだ。(250‐255p)
正義と権利についての論争において、われわれは個人的道徳と宗教的信念を排除し、「人格の政治的構想」という立場から論じるべきだ。人格の政治的構想とは、特定の忠誠や愛着や善良な生活の構想に依存しないものである。
なぜわれわれは、道徳的・宗教的信念を正義と権利についての公的言説に持ち込むべきでないのだろうか?なぜ市民としてのアイデンティティを、より広い構想である道徳的人格としてのアイデンティティから切り離さなければならないのか?ロールズによれば、われわれがそうしなければならないのは、現代の世界の主流である善良な生活についての「理性ある多元主義という事実」を尊重するためだ。現代の民主的社会に生きる人びとは、道徳的・宗教的問題について意見が一致しない。そのうえ、そうした不一致は合理的だ。「十分な理性を持つ良心的な人格が、自由に討論したあとでさえも、全員同じ結論に達することは期待できない」
市民としてのアイデンティティを道徳的・宗教的信念から切り離すべしという要求はすなわち、正義と権利についての公的言説に関与する際、リベラルな公共的理性の限界を忠実に守らなければならないことを意味する。政府が特定の善の構想を支持してはいけないだけではない。市民がみずからの道徳的・宗教的信念を正義と権利をめぐる公共の論争に持ち込むのさえ、許されない。なぜなら、もし持ち込んでその主張が通れば、実質的に、特定の道徳的・宗教的協議に基づく法を同胞に押し付けることになるからだ。
われわれの政治的主張が公共的理性の求める条件を見たし、道徳的・宗教的見解にまったく依存しない適切なものであることを確かめるには、どうすればよいだろうか?ロールズは斬新な試験を提案する。「公共的理性に従っているかどうかを確かめるには、こんな質問をすればいい。『自分の主張が最高裁判事の意見として提示されたら、どう感じるだろうか?』」。ロールズの説明によれば、これは自分の主張がリベラルな公共的理性が求める意味で中立かどうかを確かめる一つの方法だ。「もちろん、判事は一般に、みずからの個人的道徳や、道徳的理想と美徳を引き合いに出してはいけない。それらを無関係なものと見なくてはいけない。同様に、判事は、自分や他人の宗教的・哲学的見解も引き合いに出してはいけない」。公共の論争に市民として参加する際、われわれは同じような制限に従うべきだ。最高裁判事のように、われわれもみずからの道徳的・宗教的信念を排除し、すべての市民が無理なく受け入れられそうな主張をするにとどめるべきだ。(319‐321P)
公正な社会には強いコミュニティ意識が求められるとすれば、全体への配慮、共通善への献身を市民のうちに育てる方法を見つけなければならない。公共の生における市民の姿勢と性向、いわゆる「心の習慣」に無頓着ではいけない。善良な生活という純粋に私事化した概念によらず市民道徳を育てる方法を見つけなければいけない。
そういう教育は、青少年が異なった経済的階級、宗教的背景、民族コミュニティから同じ教育機関に集まったときに生まれる。
貧困層を助けるために富裕層に税を課すべきだとする哲学者たちは、効用の名の下に持論を展開する。富者から100ドルを徴収して貧者に与えても、富者の幸福はごくわずかしか減らないが、貧者の幸福は大きく増すと、彼らは推測する。ジョン・ロールズも再分配を擁護するが、彼が根拠とするのは仮説的合意だ。平等な原初状態での仮説的社会契約を想像すれば、誰もが何らかの形の再分配を支持する原理に同意するはずだ、と彼は主張する。
だが、アメリカ人の生活に広まる不平等を懸念する理由には、より重要なものがもう一つある。貧者の差があまりに大きいと民主的な市民生活が必要とする連帯が損なわれるという理由だ。不平等が深刻化するにつれて、富者と貧者の生活はいよいよかけ離れていく。富者はわが子を私立学校に入れ、残された公立学校には、ほかに選択肢のない家庭の子供が通う。同様の傾向によって、恵まれた人びとは公立の教育機関や施設から離れていく。民間のスポーツクラブが自治体のレクリエーション施設とプールにとって代わる。高級住宅地のコミュニティは民間の警備員を雇い、公共の警察による庇護にあまり頼らなくなる。二代目や三代目の自家用車によって、公共交通に依存する必要性がなくなる。という具合だ。富裕層は公共の場所やサービスを離れ、それらはほかのものには手が出ない人びとに残される 。
その結果、二つの悪影響が出る。一つは財政的、もう一つは公民的な悪影響だ。まず、公共サービスの質が低下する。そうしたサービスを利用しなくなった人々が、自分たちの税金で支える気をなくすからだ。次に、学校、公園、児童公園、コミュニティセンターといった公共の施設が、多種多様な職業の市民が出会う場でなくなる。人々が集い、市民道徳を学校で学ぶ場だった施設が数を減らし、まばらになる。公共の領域の空洞化により、民主的な市民生活のよりどころである連帯とコミュニティ意識を育てるのが難しくなる。
公共の領域の衰退が問題だとすれば、解決策は何だろう?共通善に基づく政治が主要な目標とするものの一つは、公民的生活基盤の再構築だ。個人消費の可能性を広げるための再分配に焦点を当てるのではなく、公共の施設とサービスを再建するために富裕層に課税する。そうすれば、富者も貧者も同じようにそうした施設やサービスを利用したがるはずだ。
富者も貧者も同じように子供を通わせたくなる公立学校、富裕層の通勤者にとっても魅力的な信頼性のある交通手段、公立の病院、運動場、公園、レクリエーション・センターを、民主的市民生活を共有する共通の場に引き寄せることができるような基盤である。(339‐342P)
いつもアクセスありがとうございます!!キャリアとお金に興味のある20代・30代の方を対象に、情報提供をしています。ご意見・ご感想等ありましたら、遠慮なくお願いいたします。
7.10.2011
ロボットとは何か ~人の心を映す鏡~ (講談社現代新書)
「ロボットとは何か 人の心を映す鏡(石黒浩著、講談社現代新書)」を読んだ。この本は、機電系学生にしか理解できなさそうな専門的なことが書いてあるわけではない。一般の読者を対象として、大阪大学の工学部の教授である著者が、「なぜ、私は人間型ロボットをつくるのか?」ということに迫った内容の本である。科学技術と哲学の融合された内容に興味を持ち、本屋で衝動買いしてしまった。いつものようにポイントとなる部分を抜き出し、ご紹介させていただく。
「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている」ロボットは、そのような「人間を理解したい」という根源的な欲求を満たす格好の道具である。人類は、新しい革新的な技術を手に入れるたびに、それをロボットの形にしてきた。われわれはあえて意識してこなかったが、常に、技術開発を通して人間を理解しようとしてきたのである。(25P)
「自らの認識と他人の認識は一致するか?」このような疑問の果てに思うことは、「人間の存在とは何か?」「人間とは何か?」という問いである。むろん、この問いに答えはない。かつて、研究者は哲学者でもあった。常に人間とは何かというもっとも基本的な問題を分野を超えて直視していた。ゆえに、さまざまな新しい問題に遭遇し、さまざまな創造的な活動を後世に残した。時代が進むにつれて、そのような研究者は少なくなってきたかもしれない。しかし、偉業を成し遂げた人の伝記を読めば、それぞれに、人間とは何かという疑問に向かい合っていたことに気がつく。人は皆、ある意味において研究者でもあるとも思う。「人間とは何か」という問いを持つのは、おそらく人間だけだろう。「人間が人間らしく生きるには哲学が必要」だと思う。ただ、ここでいう哲学とは、デカルトやパスカルのような難しい哲学を意味するのではない。「自分は何者か?」と疑問に思うだけで十分なのである。(129-130P)
「哲学を持たない者は機械になる」と、ある講演で言ったことがある。その意味は、自分について考えることはすべて哲学であり、その問題を直接的にも間接的にも考えることこそ、人間らしいといいたかったのである。(157P)
「ロボットは人間を支配しますか?」という質問をする人は、しない人よりも、強くロボットの可能性を実感しているのかもしれない。ただ、この情報化社会、ロボット化社会に対するまったく懸念がないわけではない。人と人をつなぐ情報機器が発展してくると、かえって人は人のことをあまり考えなくなるという、反対の側面も出てくる可能性がある。電話のない時代には、手紙をやりとりした。手紙のやりとりには、時間がかかるので、その分、いろいろと相手のことを思い、想像して、手紙を書いた。それが電話ですぐにつながることができると、相手のことを深く考える前に、話ができてしまう。携帯電話にいたっては、気になったときにすぐに相手とつながることができるため、相手のことを考える時間はほとんどなくなった。すなわち、技術の発展に伴い、人間はほかの人間のことを深く想像することなく、単なる情報交換ばかりをするようになっている。言い換えれば、人間は、ずいぶんと身勝手になって、単に通信するだけのような機械になりつつある気さえする。ゆえに、新しい技術や情報機器を受け入れるためには、人間そのものがより賢くならなければならない。哲学を持たなければならないと思う。(210-211P)
「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている」ロボットは、そのような「人間を理解したい」という根源的な欲求を満たす格好の道具である。人類は、新しい革新的な技術を手に入れるたびに、それをロボットの形にしてきた。われわれはあえて意識してこなかったが、常に、技術開発を通して人間を理解しようとしてきたのである。(25P)
「自らの認識と他人の認識は一致するか?」このような疑問の果てに思うことは、「人間の存在とは何か?」「人間とは何か?」という問いである。むろん、この問いに答えはない。かつて、研究者は哲学者でもあった。常に人間とは何かというもっとも基本的な問題を分野を超えて直視していた。ゆえに、さまざまな新しい問題に遭遇し、さまざまな創造的な活動を後世に残した。時代が進むにつれて、そのような研究者は少なくなってきたかもしれない。しかし、偉業を成し遂げた人の伝記を読めば、それぞれに、人間とは何かという疑問に向かい合っていたことに気がつく。人は皆、ある意味において研究者でもあるとも思う。「人間とは何か」という問いを持つのは、おそらく人間だけだろう。「人間が人間らしく生きるには哲学が必要」だと思う。ただ、ここでいう哲学とは、デカルトやパスカルのような難しい哲学を意味するのではない。「自分は何者か?」と疑問に思うだけで十分なのである。(129-130P)
「哲学を持たない者は機械になる」と、ある講演で言ったことがある。その意味は、自分について考えることはすべて哲学であり、その問題を直接的にも間接的にも考えることこそ、人間らしいといいたかったのである。(157P)
「ロボットは人間を支配しますか?」という質問をする人は、しない人よりも、強くロボットの可能性を実感しているのかもしれない。ただ、この情報化社会、ロボット化社会に対するまったく懸念がないわけではない。人と人をつなぐ情報機器が発展してくると、かえって人は人のことをあまり考えなくなるという、反対の側面も出てくる可能性がある。電話のない時代には、手紙をやりとりした。手紙のやりとりには、時間がかかるので、その分、いろいろと相手のことを思い、想像して、手紙を書いた。それが電話ですぐにつながることができると、相手のことを深く考える前に、話ができてしまう。携帯電話にいたっては、気になったときにすぐに相手とつながることができるため、相手のことを考える時間はほとんどなくなった。すなわち、技術の発展に伴い、人間はほかの人間のことを深く想像することなく、単なる情報交換ばかりをするようになっている。言い換えれば、人間は、ずいぶんと身勝手になって、単に通信するだけのような機械になりつつある気さえする。ゆえに、新しい技術や情報機器を受け入れるためには、人間そのものがより賢くならなければならない。哲学を持たなければならないと思う。(210-211P)
5.14.2011
アリストテレス(清水書院)
携帯電話を客先に忘れてしまった。携帯電話がないと非常に不便だ。でも、休みの時くらい、たまには打ち込むべきことに打ち込んでもよいはずだ。
現在、引越しに向けて部屋を整理中である。大学時代に比べ、引っ越すたびに蔵書が減っている。今回、アリストテレスの本が仕分けの対象となっている。
アリストテレスは大学時代に唯一、きちんとかじった哲学者だ。今年30という節目の年であるし、人生についていろいろ考えなければいけない時期でもある。
幸福には、いろいろな形があると思われるが、それなりの地位・収入を得ることが、最大の幸福を達成しうるというのが、アリストテレスの考えである。お金がないと、本を買えなかったり、友人に会いにいけなかったり、旅行に行くこともできないので、その考えは間違っていないと思う。
「アリストテレス(堀田彰著、清水書院)」の153、154ページより、アリストテレスの政治と倫理の考え方を抜き出してみる。
かれは、共同体は個人の総体で、具体的に存在しているのは個人である、という立場をとる。そしてそのいきつくところ、個人の幸福でないような幸福は現実には存在しておらず、概念としてだけ存在しているのであり、したがって個人を犠牲にして獲得されるような共同体の善などはありえない、と考えている。
すべての存在者は自己の完成をめざしている。人間はもともと社会的な動物であるから、人間の目的は社会においてのみ実現されうる。人間は家族・村落という小集団において、それぞれに見合った目的を実現するのであり、ポリスという完全な集団においては完全にその目的を実現するのである。しかも、ポリスに階層があるならば、個人の実現しうる目的の程度はそれにも依存するに違いない。かれはこのように考えている。これからすると、最も高貴な人々だけが最大の幸福を達成しうる、ということになり、きわめて貴族的な色彩をおびてこよう。逆に言えば、奴隷にとっては「物言う道具」であることが最上のことであることになる。
今日われわれはこの論を聞いても驚きはしない。国家が実現しようとする理想や目的が個人のかかげるそれと一致することはまれである。
かれは言っている。「よき人間であるということと、特定の国家のよき国民であるということとは、必ずしも同じではないかもしれない」と。もし両者が一致しているとするならば、それは国家が最良の立法をもっている場合だけである。卓越した両親のもとでだけ卓越した子供ができるように、卓越した法のもとでだけ卓越した市民が生まれるのである。国家でのりっぱな法律・風俗・習慣こそ、その教育的作用によってりっぱな性格をつくりだすのであり、りっぱな性格を所有することこそ幸福な生活を送るための行為をなす前提条件なのである。かれの考え方はこのようであった。
現在、引越しに向けて部屋を整理中である。大学時代に比べ、引っ越すたびに蔵書が減っている。今回、アリストテレスの本が仕分けの対象となっている。
アリストテレスは大学時代に唯一、きちんとかじった哲学者だ。今年30という節目の年であるし、人生についていろいろ考えなければいけない時期でもある。
幸福には、いろいろな形があると思われるが、それなりの地位・収入を得ることが、最大の幸福を達成しうるというのが、アリストテレスの考えである。お金がないと、本を買えなかったり、友人に会いにいけなかったり、旅行に行くこともできないので、その考えは間違っていないと思う。
「アリストテレス(堀田彰著、清水書院)」の153、154ページより、アリストテレスの政治と倫理の考え方を抜き出してみる。
かれは、共同体は個人の総体で、具体的に存在しているのは個人である、という立場をとる。そしてそのいきつくところ、個人の幸福でないような幸福は現実には存在しておらず、概念としてだけ存在しているのであり、したがって個人を犠牲にして獲得されるような共同体の善などはありえない、と考えている。
すべての存在者は自己の完成をめざしている。人間はもともと社会的な動物であるから、人間の目的は社会においてのみ実現されうる。人間は家族・村落という小集団において、それぞれに見合った目的を実現するのであり、ポリスという完全な集団においては完全にその目的を実現するのである。しかも、ポリスに階層があるならば、個人の実現しうる目的の程度はそれにも依存するに違いない。かれはこのように考えている。これからすると、最も高貴な人々だけが最大の幸福を達成しうる、ということになり、きわめて貴族的な色彩をおびてこよう。逆に言えば、奴隷にとっては「物言う道具」であることが最上のことであることになる。
今日われわれはこの論を聞いても驚きはしない。国家が実現しようとする理想や目的が個人のかかげるそれと一致することはまれである。
かれは言っている。「よき人間であるということと、特定の国家のよき国民であるということとは、必ずしも同じではないかもしれない」と。もし両者が一致しているとするならば、それは国家が最良の立法をもっている場合だけである。卓越した両親のもとでだけ卓越した子供ができるように、卓越した法のもとでだけ卓越した市民が生まれるのである。国家でのりっぱな法律・風俗・習慣こそ、その教育的作用によってりっぱな性格をつくりだすのであり、りっぱな性格を所有することこそ幸福な生活を送るための行為をなす前提条件なのである。かれの考え方はこのようであった。
5.08.2011
坂の上の雲(一)(二)(三) 文春文庫
中国出身の男の子(高校1年生)に日本語(漢字)を教えるボランティアをさっきまでしていた。中学2年の漢字まで終わったところだ。日本出身の私でも、説明に困るような日本語が結構あるわけで、言葉の難しさを痛感している。
突然、彼が日本の近代史を教えてくれと、言うので、中学の歴史の教科書をもってきて一通り説明してあげた。すると、中国で教わったことと違うと言う。私は教科書に沿って、帝国主義という世界情勢を意識して、欧米列強との関係をからめつつ、日本がどのようにして中国に侵略するにいたったかを説明した。確かに日本は中国に対して、ひどいことをしたけれども、日本が一方的に非難されるのはどうかな、と疑問を投げかけておいた。
さて、毎年年末に司馬遼太郎氏原作のドラマ「坂の上の雲」が放映されているのをきっかけに、ついに私も司馬氏の作品を読むことにした。文庫本は全部で8巻あるが、2年間でまだ3巻までしか読めていない。いかに、私が作品にのめり込んでいないかが分かる。ただ、司馬史観と呼ばれる歴史解釈をしている部分は興味深く、3巻までで鋭いな、面白いなと思った文章を紹介してみる。
まずは2巻の29ページから33ページにかけての引用から。
ヨーロッパの興隆というのは白人の人種的優越にあるというよりも、一ツ大陸によく似た能力水準の民族がひしめき、それぞれが国家をつくり、互いに影響しあい、模倣しあい、戦いあい、混血しあい、それらのひしめきの結果、地球上の他の域にすむ人種をついに力のうえで圧倒してしまったということであろう。
(中略)
「明治日本」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。
すくなくとも、列強はそうみた。ほんの二十余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本のすねで歩き、世界じゅうどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、いまはまがりなりにも、西洋式の国会をもち、ドイツ式の陸軍とイギリス式の海軍をもっている。
「猿まね」
と、西洋人はわらった。
模倣を猿というならば、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗のふるい猿であるにちがいなかったが、しかし猿仲間でも新店の猿はわらいものになるのであろう。
自分こそ猿でなく、世界の中華であるとおもっている清国は清国で、日本人の欧化をけいべつした。もっとも日本人をけいべつしたのは、大清帝国の文明を信じ、その属邦でありつづけようろする朝鮮であった。
(中略)
しかし、当の日本と日本人だけは、大まじめであった。産業技術と軍事技術は、西洋よりも四百年おくれていた。それを一挙にまねることによって、できれば一挙に身につけ、それによって西洋同様の富国強兵のほまれを得たいとおもった。西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。日本のこのおのれの過去をかなぐりすてたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡が賭けられていた。
西洋が興隆したそのエネルギー源はなにか、という点では、日本の国権論者はそれが帝国主義と植民地にあるとみた。民権論者も、「自由と民権にある」とは言いつつも多くのものが帝国主義をもあわせて認めた。帝国主義と自由と民権は渾然として西洋諸国の生命の源であると見、当然ながらそれをまねようとした。
続いて384、385ページから。
いわゆる北清事変で連合軍を組織したのは英、独、米、仏、伊、墺の六カ国と、日本とロシアである。日露両軍がもっとも人数が多く、主力をなした。
各地で清国軍や義和団をやぶりつつ八月十四日、ついに北京のかこみをやぶって入城し、各国公使館や居留民をすくうことができた。
キリスト教国の側からいえば、いわば正義の軍隊である。しかし入城後にかれらがやった無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している。
(中略)
ただし、日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。
(中略)
日本国は条約改正という難問題をかかえており、「文明国」であることを世界に誇示せねばならず、そのため国際法や国際道義の忠実なまもり手であろうとした。
続いて三巻の68、69ページから。
要するに、日露戦争の原因は、満州と朝鮮である。満州をとったロシアが、やがて朝鮮をとる。
これは、きわめて明白である。日露戦争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの所有にあなっていたことは、うたがうべくもない。
むろん負けていれば、日本もとられていたといえるだろうか。
(中略)
英国の外務省は、日露戦争がおこるにあたって、日本がたとえ負けても国までとられてしなうことはないだろうと見ていたふしがある。理由は、島国という地理的環境による。
ただばく大な償金を支払うがために、産業は昭和中期までは停滞したにちがいない。
さらには、北海道一つをとられ、敦賀港と対馬一島はロシア租借地になったにちがいない。
続いて173ページから。
十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。後世の人が幻想して侵さず侵されず、人類の平和のみを国是とする国こそ当時のあるべき姿とし、その幻想国家の架空の基準を当時の国家と国際社会に割り込ませて国家のありかたの正邪をきめるというのは、歴史は粘土細工の粘土にすぎなくなる。世界の段階はすでにそうである。日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。
日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしこれをすてれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併呑されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった。
最後に286ページからの引用
日本の江戸時代の史学者や庶民が楠木正成や義経を好んだために、その伝統がずっとつづき、昭和時代の軍事指導者までが専門家のくせに素人の好みに憑かれ、日本特有のふしぎな軍事思想をつくりあげ、当人たちもそれを信奉し、ついには対米戦をやってのけたが、日露戦争のことの軍事思想はその後のそれとはまったく違っている。戦いの期間を通じてつねに兵力不足と砲弾不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも概念としては敵と同数もしくはそれ以上であろうとした。海軍の場合は、敵よりも数量と質において凌駕しようとし、げんに凌駕した。
突然、彼が日本の近代史を教えてくれと、言うので、中学の歴史の教科書をもってきて一通り説明してあげた。すると、中国で教わったことと違うと言う。私は教科書に沿って、帝国主義という世界情勢を意識して、欧米列強との関係をからめつつ、日本がどのようにして中国に侵略するにいたったかを説明した。確かに日本は中国に対して、ひどいことをしたけれども、日本が一方的に非難されるのはどうかな、と疑問を投げかけておいた。
さて、毎年年末に司馬遼太郎氏原作のドラマ「坂の上の雲」が放映されているのをきっかけに、ついに私も司馬氏の作品を読むことにした。文庫本は全部で8巻あるが、2年間でまだ3巻までしか読めていない。いかに、私が作品にのめり込んでいないかが分かる。ただ、司馬史観と呼ばれる歴史解釈をしている部分は興味深く、3巻までで鋭いな、面白いなと思った文章を紹介してみる。
まずは2巻の29ページから33ページにかけての引用から。
ヨーロッパの興隆というのは白人の人種的優越にあるというよりも、一ツ大陸によく似た能力水準の民族がひしめき、それぞれが国家をつくり、互いに影響しあい、模倣しあい、戦いあい、混血しあい、それらのひしめきの結果、地球上の他の域にすむ人種をついに力のうえで圧倒してしまったということであろう。
(中略)
「明治日本」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。
すくなくとも、列強はそうみた。ほんの二十余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本のすねで歩き、世界じゅうどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、いまはまがりなりにも、西洋式の国会をもち、ドイツ式の陸軍とイギリス式の海軍をもっている。
「猿まね」
と、西洋人はわらった。
模倣を猿というならば、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗のふるい猿であるにちがいなかったが、しかし猿仲間でも新店の猿はわらいものになるのであろう。
自分こそ猿でなく、世界の中華であるとおもっている清国は清国で、日本人の欧化をけいべつした。もっとも日本人をけいべつしたのは、大清帝国の文明を信じ、その属邦でありつづけようろする朝鮮であった。
(中略)
しかし、当の日本と日本人だけは、大まじめであった。産業技術と軍事技術は、西洋よりも四百年おくれていた。それを一挙にまねることによって、できれば一挙に身につけ、それによって西洋同様の富国強兵のほまれを得たいとおもった。西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。日本のこのおのれの過去をかなぐりすてたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡が賭けられていた。
西洋が興隆したそのエネルギー源はなにか、という点では、日本の国権論者はそれが帝国主義と植民地にあるとみた。民権論者も、「自由と民権にある」とは言いつつも多くのものが帝国主義をもあわせて認めた。帝国主義と自由と民権は渾然として西洋諸国の生命の源であると見、当然ながらそれをまねようとした。
続いて384、385ページから。
いわゆる北清事変で連合軍を組織したのは英、独、米、仏、伊、墺の六カ国と、日本とロシアである。日露両軍がもっとも人数が多く、主力をなした。
各地で清国軍や義和団をやぶりつつ八月十四日、ついに北京のかこみをやぶって入城し、各国公使館や居留民をすくうことができた。
キリスト教国の側からいえば、いわば正義の軍隊である。しかし入城後にかれらがやった無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している。
(中略)
ただし、日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。
(中略)
日本国は条約改正という難問題をかかえており、「文明国」であることを世界に誇示せねばならず、そのため国際法や国際道義の忠実なまもり手であろうとした。
続いて三巻の68、69ページから。
要するに、日露戦争の原因は、満州と朝鮮である。満州をとったロシアが、やがて朝鮮をとる。
これは、きわめて明白である。日露戦争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの所有にあなっていたことは、うたがうべくもない。
むろん負けていれば、日本もとられていたといえるだろうか。
(中略)
英国の外務省は、日露戦争がおこるにあたって、日本がたとえ負けても国までとられてしなうことはないだろうと見ていたふしがある。理由は、島国という地理的環境による。
ただばく大な償金を支払うがために、産業は昭和中期までは停滞したにちがいない。
さらには、北海道一つをとられ、敦賀港と対馬一島はロシア租借地になったにちがいない。
続いて173ページから。
十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。後世の人が幻想して侵さず侵されず、人類の平和のみを国是とする国こそ当時のあるべき姿とし、その幻想国家の架空の基準を当時の国家と国際社会に割り込ませて国家のありかたの正邪をきめるというのは、歴史は粘土細工の粘土にすぎなくなる。世界の段階はすでにそうである。日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。
日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしこれをすてれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併呑されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった。
最後に286ページからの引用
日本の江戸時代の史学者や庶民が楠木正成や義経を好んだために、その伝統がずっとつづき、昭和時代の軍事指導者までが専門家のくせに素人の好みに憑かれ、日本特有のふしぎな軍事思想をつくりあげ、当人たちもそれを信奉し、ついには対米戦をやってのけたが、日露戦争のことの軍事思想はその後のそれとはまったく違っている。戦いの期間を通じてつねに兵力不足と砲弾不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも概念としては敵と同数もしくはそれ以上であろうとした。海軍の場合は、敵よりも数量と質において凌駕しようとし、げんに凌駕した。
3.05.2011
なぜ国家は衰亡するのか(PHP新書)
盛者必衰は理である、と我々日本人は習った。では、「なぜ国家は衰亡するのか」。日本の今後に非常に不安をもつ私はある一冊を手に取った。
「なぜ国家は衰亡するのか(中西輝政著、PHP新書)」で、著者は長く続いた国家の事例の一つといして、ビザンチン帝国の例をだしている。
「ビザンチンの例がわれわれに示してくれるのは、自分たちの伝統、価値観、制度、ある場合には神話も含めて、その「文明の核心」となる部分はどんな危機においても、また繁栄のなかでも、絶対に放棄しないということであろう。と同時に、外の大きな流れには積極的に対応し、本質的に可能なものや技術的なものについてはむしろ積極的に取り込んでいかなければならないということである(128~129P)」つまり、この逆が衰亡への道ということである。宗教(キリスト教)に飲み込まれ滅亡した西ローマ帝国と、宗教(キリスト教)とうまく取り入れ、1000年続いたビザンチン帝国の違いは非常に興味深い。
また、大英帝国の例も興味深かった。
日本が日露戦争を戦っていたとき、イギリスでは「われわれは衰退しているのではないか」という問題意識がはじめて多くの人々の心を捉えていた。そこでは各種の問題が提起されただけではなく、それらに対するいくつもの改革案が提示され、それを実行に移そうとさえしていた。しかし、結論からいえっば、それらの改革案は実現することがなかった。(68P)
その当時に出版された本で、古代ローマとの対比において衰退の兆候と思われるいくつかの指標をあげている。第一にあげている衰退の共通した特徴は、大都市での生活が非常に快適で刺激に富んだものになり、さらにますます多くの若者がその大都市から離れたがらなくなっているということである。(69P)
イギリス本土での大衆生活が豊かになり人々の生活が都市化すると、それまで大英帝国を支えていた海外進出と移住にも影響が出るようになってくる。ことに若者たちは、かなり好条件であっても、海外勤務を避ける傾向が明らかになったし、庶民の中にも海外移民を嫌がる人が多くなってきた。商船会社の船員も70パーセントが外国人になっていた。海外や会場での仕事への関心は、本国が豊かになるにしたがって、しだいに希薄になっていったわけで、これは成熟した文明が陥る普遍的な衰弱のパターンとして共通している。(70~71P)
「なぜ国家は衰亡するのか(中西輝政著、PHP新書)」で、著者は長く続いた国家の事例の一つといして、ビザンチン帝国の例をだしている。
「ビザンチンの例がわれわれに示してくれるのは、自分たちの伝統、価値観、制度、ある場合には神話も含めて、その「文明の核心」となる部分はどんな危機においても、また繁栄のなかでも、絶対に放棄しないということであろう。と同時に、外の大きな流れには積極的に対応し、本質的に可能なものや技術的なものについてはむしろ積極的に取り込んでいかなければならないということである(128~129P)」つまり、この逆が衰亡への道ということである。宗教(キリスト教)に飲み込まれ滅亡した西ローマ帝国と、宗教(キリスト教)とうまく取り入れ、1000年続いたビザンチン帝国の違いは非常に興味深い。
また、大英帝国の例も興味深かった。
日本が日露戦争を戦っていたとき、イギリスでは「われわれは衰退しているのではないか」という問題意識がはじめて多くの人々の心を捉えていた。そこでは各種の問題が提起されただけではなく、それらに対するいくつもの改革案が提示され、それを実行に移そうとさえしていた。しかし、結論からいえっば、それらの改革案は実現することがなかった。(68P)
その当時に出版された本で、古代ローマとの対比において衰退の兆候と思われるいくつかの指標をあげている。第一にあげている衰退の共通した特徴は、大都市での生活が非常に快適で刺激に富んだものになり、さらにますます多くの若者がその大都市から離れたがらなくなっているということである。(69P)
イギリス本土での大衆生活が豊かになり人々の生活が都市化すると、それまで大英帝国を支えていた海外進出と移住にも影響が出るようになってくる。ことに若者たちは、かなり好条件であっても、海外勤務を避ける傾向が明らかになったし、庶民の中にも海外移民を嫌がる人が多くなってきた。商船会社の船員も70パーセントが外国人になっていた。海外や会場での仕事への関心は、本国が豊かになるにしたがって、しだいに希薄になっていったわけで、これは成熟した文明が陥る普遍的な衰弱のパターンとして共通している。(70~71P)
3.22.2010
ベトナム戦争(中公新書)
アフガン攻撃からイラク戦争(07年会計年度まで)の累積戦費7119億ドルは、ベトナム戦争での戦費(現在価格換算)5700億ドルを上回った。イラク戦争に関しては、ブッシュ大統領自身が「間違った情報に基づく戦争」であったとの認識(05年12月)があり、米上院特別委員会が「サダム政権とアルカイダは無関係」と報告(06年9月)した。イラク戦争開始後のイラク人の死者は最低でも10万人、最大で18万人と言われている。テロリスト(敵対者)を追い詰める戦争がテロリスト(敵対者)を増殖させる戦争となってしまった。これはベトナム戦争と同じ構図である。
歴史は塗り替えられる。今、私たちが信じているものも、誰が絶対的なものだと言えるだろうか。
情報はコントロールされる。私たちがこの目で見たもの以上に信じるものはない。
高校までの授業でベトナムに関して、中国や欧米に比べると、ほとんど教わっていない。教科書にもっと載せても良いのではと思う。
ベトナム戦争はこういう戦いだった(「ベトナム戦争(松岡完著、中公新書著)」)。
①1964年8月初め、トンキン湾上の米駆逐艦が、北ベトナム魚雷艇から二度にわたって攻撃を受けた。米駆逐艦は公海上で通常の哨戒任務中だったとされたが、当時アメリカは3マイル、北ベトナムは12マイルの領海を主張していた。少なくとも武力衝突の可能性を軽視した無分別な挑発だった。しかも、事件の伏線を敷いたのはアメリカだった。ゲリラ戦争に終わりが見えず、サイゴン政権の前途も絶望的。手っ取り早い勝利には、一気に戦争を拡大するしかない。その口実を求め、ハノイ挑発に余念がない。それがトンキン湾の海面に映し出された、アメリカの本当の姿だった。米議会はトンキン湾決議をかける、事実上戦争遂行の白紙委任状を大統領に与える。米国民は愛国心を刺激され、大統領支持率は四割そこそこから一気に72%まで上昇した。1970年、米議会はトンキン湾決議を撤回した。
②北ベトナム軍兵士1人を殺すのに300発の爆弾が必要で、その経費は14万ドルに達した。1か月のベトナム戦費で、米国内の貧困撲滅や社会保障充実をめざすジョンソン大統領の偉大な社会政策の1年分がゆうにまかなえた。
③北爆は、数限りない天災や外敵、つまり中国歴代王朝の侵攻に直面し、一致団結してきたトンキン人の一体感と抗戦意欲を刺激した。1960年代の北ベトナムは、戦時体制下での社会主義建設に邁進した。北ベトナムに降り注いだ250万トンもの爆弾は、その手助けをしていたようなものだった。
④米軍将兵は四六時中「ベトコン症候群」と彼らが呼ぶものの恐怖にさいなまれていた。敵と味方、前線と銃後の区別はなく、基地内で働く労働者の中にもベトコンが潜んでいた。彼らはストレス発散のため、また恐怖心から無差別攻撃、略奪、暴行、拷問、虐殺にのめり込んだ。それがベトナムの農民の反感をますます強めさせ、また米兵の心とからだをさらに蝕んでいった。隊内の秩序は乱れ、警戒を怠って奇襲の餌食になる例も増えた。規律違反や出勤拒否は日常茶飯事となった。1967~71年、1か月以上無断で離隊した脱走者はのべ35万人以上。
⑤1965年1月、いわゆる南爆が始まった。1966年には、南爆は北爆の3倍もの規模で行われている。南爆は敵兵1人を殺すために民間人4人を犠牲にしていた。南ベトナムには共産主義を嫌う人々は多かったが、といって田畑や家屋を破壊し、自分たちを苦しめるアメリカ人や、その手先も同然の南ベトナム政府を好きになれる道理はなかった。
⑥南ベトナム軍兵士の給与はサイゴンのタクシー運転手の半分にも満たず、戦死しても恩給も出ない以上、命を的にしての突進など酔狂以外の何物でもなかった。1966年には5人に1人が舞台から消えた。
⑦ベトナム戦争が本格化すると、多くの物質が日本国内の40近い港から搬出された。ナパーム弾の90%は日本製で、部品の状態でベトナムに送られた。ベトナム特需は1965~72年で直接間接、対米輸出も含めて70億ドルほどになるという。輸出総額に占める割合はせいぜい7~8%で、輸出の6割以上に達した朝鮮特需ほどではなかった。しかし東京オリンピック後の不況にあえぐ日本経済の息を吹き返させ、高度成長時代への道を開いた。
歴史は塗り替えられる。今、私たちが信じているものも、誰が絶対的なものだと言えるだろうか。
情報はコントロールされる。私たちがこの目で見たもの以上に信じるものはない。
高校までの授業でベトナムに関して、中国や欧米に比べると、ほとんど教わっていない。教科書にもっと載せても良いのではと思う。
ベトナム戦争はこういう戦いだった(「ベトナム戦争(松岡完著、中公新書著)」)。
①1964年8月初め、トンキン湾上の米駆逐艦が、北ベトナム魚雷艇から二度にわたって攻撃を受けた。米駆逐艦は公海上で通常の哨戒任務中だったとされたが、当時アメリカは3マイル、北ベトナムは12マイルの領海を主張していた。少なくとも武力衝突の可能性を軽視した無分別な挑発だった。しかも、事件の伏線を敷いたのはアメリカだった。ゲリラ戦争に終わりが見えず、サイゴン政権の前途も絶望的。手っ取り早い勝利には、一気に戦争を拡大するしかない。その口実を求め、ハノイ挑発に余念がない。それがトンキン湾の海面に映し出された、アメリカの本当の姿だった。米議会はトンキン湾決議をかける、事実上戦争遂行の白紙委任状を大統領に与える。米国民は愛国心を刺激され、大統領支持率は四割そこそこから一気に72%まで上昇した。1970年、米議会はトンキン湾決議を撤回した。
②北ベトナム軍兵士1人を殺すのに300発の爆弾が必要で、その経費は14万ドルに達した。1か月のベトナム戦費で、米国内の貧困撲滅や社会保障充実をめざすジョンソン大統領の偉大な社会政策の1年分がゆうにまかなえた。
③北爆は、数限りない天災や外敵、つまり中国歴代王朝の侵攻に直面し、一致団結してきたトンキン人の一体感と抗戦意欲を刺激した。1960年代の北ベトナムは、戦時体制下での社会主義建設に邁進した。北ベトナムに降り注いだ250万トンもの爆弾は、その手助けをしていたようなものだった。
④米軍将兵は四六時中「ベトコン症候群」と彼らが呼ぶものの恐怖にさいなまれていた。敵と味方、前線と銃後の区別はなく、基地内で働く労働者の中にもベトコンが潜んでいた。彼らはストレス発散のため、また恐怖心から無差別攻撃、略奪、暴行、拷問、虐殺にのめり込んだ。それがベトナムの農民の反感をますます強めさせ、また米兵の心とからだをさらに蝕んでいった。隊内の秩序は乱れ、警戒を怠って奇襲の餌食になる例も増えた。規律違反や出勤拒否は日常茶飯事となった。1967~71年、1か月以上無断で離隊した脱走者はのべ35万人以上。
⑤1965年1月、いわゆる南爆が始まった。1966年には、南爆は北爆の3倍もの規模で行われている。南爆は敵兵1人を殺すために民間人4人を犠牲にしていた。南ベトナムには共産主義を嫌う人々は多かったが、といって田畑や家屋を破壊し、自分たちを苦しめるアメリカ人や、その手先も同然の南ベトナム政府を好きになれる道理はなかった。
⑥南ベトナム軍兵士の給与はサイゴンのタクシー運転手の半分にも満たず、戦死しても恩給も出ない以上、命を的にしての突進など酔狂以外の何物でもなかった。1966年には5人に1人が舞台から消えた。
⑦ベトナム戦争が本格化すると、多くの物質が日本国内の40近い港から搬出された。ナパーム弾の90%は日本製で、部品の状態でベトナムに送られた。ベトナム特需は1965~72年で直接間接、対米輸出も含めて70億ドルほどになるという。輸出総額に占める割合はせいぜい7~8%で、輸出の6割以上に達した朝鮮特需ほどではなかった。しかし東京オリンピック後の不況にあえぐ日本経済の息を吹き返させ、高度成長時代への道を開いた。
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