今回、「キャリアデザイン入門[I](大久保幸夫著、日本経済新聞社)2006年4月」より、気になるところを抜き出してみた。
多くの国々でキャリア教育というものは小学校段階から始められているように、小・中学校の段階にキャリアデザインの本質がある。キャリア教育とは、将来社会に出て生活をしたり仕事を」したりするために必要な力を育てるための教育であり、職業観を養うための教育である。以前は自営業で働く人が多く、子供の頃から家の仕事を手伝うことで「働くということ」「お金を稼ぐということ」「顧客と接するということ」を自然に学んできた。また自営業の家に生まれなかった人も、以前は中学校卒業段階で就職するか否かという選択を迫られた。結果的に就職しないという選択に至った人でも、そこで真剣に仕事をするかどうかを考えた。この二つの要素が失われたために、「働くということ」を考える機会がないまま成長し、大学を卒業する時になってはじめて「働くってなんだろう?」と思うのである。本来はもっと早い段階で仕事に就いて考える機会を持った方がいい。そして、仕事について考え、将来をイメージすることは、学習意欲の向上という大きな成果をもたらすのである。
では、具体的にどのようなキャリアデザインが必要なのか考えてみよう。
まず小学校だが、概ね働くということの意味が理解できるようになるのは、高学年になる頃である。実際に目にする仕事について理解し、興味をもつようになる。授業の中で仕事に関するビデオを見たり、キャリア教育用のゲーム化された学習素材を使って仕事を見てみること、さらに商店街で仕事をしている人に取材をしてまとめたりということを行う。小学校の段階はそれで十分だろう。
中学校の段階はキャリアにとって非常に重要な時期である。中学校のわずか三年の間に、子どもたちは高校進学、受験というものに直面する中で多くの夢を捨ててゆく。しかし、このような子供のころに描いた夢は自分の価値観の本質に根ざしていることが少なくない。人生の後半に入ったときに、もう一度子供の夢を追いかけて今度は実現させてみるというのもキャリアデザインのテーマなのである。アメリカでは興味深い二つのイベントを行っている。一つはジョブ・斜度ウイングと呼ばれるもので、自分が興味のある仕事、あるいは子供たちに見せたいと考えて準備された仕事をしている人に、影のように一日ついて歩いて、その仕事というものに触れるイベントである。もう一つは子供参観日というもので、両親の働いている姿を会社などに行って生で見るというイベントである。小学校から中学校にかけての時期に仕事に関する知識やイメージを全く持たないままに高校以降の競争社会に入っていくと、現実的になるとともに、夢や目標を失い、将来の自分に期待できない子たちをたくさん生みだしてしまう危険がある。
日本では高校段階での職業教育は一般に希薄である。それは大学進学率が高く、高卒就職率が低迷していることとも関係しているだろう。今や高校卒で就職する人の割合はおよそ17%である。進学高校では就職指導もなく、大学進学を前提とした授業を行っている。最も重要なのは、進学するのか、真剣に考えてみるということだろう。みんなが行くから自分も行くという大学進学では実りの多い大学生活にはならない。就職を真剣に考えた結果、より高度な学習が必要であるとか、より高い教養を身につけておく必要があるという結論に至れば、大学に行けばよい。職業を考えた上での大学進学であれば、学部の選び方や大学の選び方もよりしっかりしたものになる。またより明確にイメージする職業があれば、大学ではなく専門学校に行くという選択肢も有効である。大学は本格的に全入時代を迎え、誰でも大学に入れるし、誰でも大学を卒業できるようになった。もはや大卒ということだけでは価値はない。だからこそ、改めて学習の場としての大学をいつどのような形で使うのかが重要になるのである。
今では、大学に入ると早々に就職について悩むことになる。高校まで「働くということ」について全く考えてこなかった人は、大卒→就職という出口を目前にして、長期の試行錯誤を繰り返すことになるのだ。この時期にぶつかるキャリアデザイン上の悩みについて考えてみよう。
(1)自分が何に向いているか、何をやりたいのか分からない
仕事をしたことがない人にやりたいことを明確にせよということはむしろ酷であると思う。仕事への動機とは実際に仕事に接したときに生まれる。経験がない中で頭の中で考えようと思っても無理なのだ。「自分は公務員になりたい!」となどと簡単に答えを見つけてくる人は、単に自分自身に思い込ませるのがうまいだけで、本当にその職業に適しているわけでも、心の奥深いところでその仕事を選択しているわけでもないのだ。古くから実践されている方法は、OB・OGと会ってみるという方法がある。興味のある仕事があるなら、まずはインターンシップに行ってみるとか、アルバイトでもぐりこんでみるとかして、生で見てみることだ。それでもやりたいものが見つからない時は、それはそれで仕方ない。戦略を切り替えて、入れるところ、成長できるところという観点で会社を選べばよい。最初につく職業がなんであるかはそれほど大事ではない。大学時代に「すごくやりたい!」と思ったことでも、社会に出てみると数年以内にはすっかり変わってしまうことが往々にしてあるからだ。むしえお初級キャリアは、自分が鍛えられる会社=「激流」を選ぶことのほうが大事だ。
(2)「自分探し」という放浪の旅
はっきり言っておくが、自分など探しても見つからない。自分は探すものではなく、つくるものだからだ。自分探しとは、自分自身に対して根拠のない自信と漠然とした不安があるときに、誰かに「あなたは素晴らしいよ」と言ってもらって安心したいという欲求から起こるものだと私は理解している。本当に自分の可能性を見極めたいのなら、死に物狂いで仕事と格闘しなければならない。いつでも逃げ道が見つかるような場に身を置いて、ぬるま湯の中にいたのではどんどん自分の可能性を小さくしてしまうだけである。
(3)安定した企業に行きたいという誤り
大まかに学生を二分すると、「優秀な人材がいる会社に行きたい」という志向と「安定した会社に行きたい」という志向とに分かれる。この二分は、就職する時までにしっかりと対人能力、対自己能力、対課題能力などの基礎力を磨いてきたか、そうでなかったかによる。もしも、自分に安定思考が芽生えているとしたら、今からでも自分を鍛え直し、もっと前向きにチャレンジする人生を送るようお勧めしたい。現代において、「安定した会社」など、そもそも存在しない。公務員が最も安定しているだろうということで、公務員志望も増えているが、公務員とてこれからの民営化の流れの中では絶対とは言えばい。そのような状態にもかかわらず、そしてまだ若く、これからの人生でもあえうにもかかわらず、安定を求めてどうするのであろうか。