2.16.2013

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの(ダイヤモンド社)

「採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの(伊賀泰代著、ダイヤモンド社・2012年11月)」は、地頭より論理的思考力よりもリーダーシップが日本人に必要だと説く。大学や大学院はもちろん、中学校や高校でも、子供達に日常的にリーダーシップを発揮する習慣を身につけることによって、社会のあり方は大きく変わるという。以下、抜粋。


著者の言うリーダーシップをもっている人はどういう人のことを言うのだろうか。例えば、TPPに関して、「参加したら、国際交渉でアメリカに押し切られ、日本は不利益を被る」という考え方をする人ではなく、「国際交渉の場で、きちんと自国の利益を確保できる人材を育成することが急務である」という発想ができる人。人身事故で電車が止まったとき、代わりにタクシーに乗る際、一人一台タクシーに乗るのではなく、海外の人のように、「私は〇〇方面に行きます。一緒に乗りたい方、いらっしゃいますか?」と声をかけることができる人。マンションの管理組合で会合があり、帰り際にお菓子や果物が残っている時、「このお菓子持って帰りたい人はいますか。お子さんがいらっしゃる方、どうぞお持ち帰りくださいな」と声を上げる人。リーダーシップとは、すべての人が日常的に使えるスキルであり、訓練を積めば、誰でも学べるスキルである。日本人にとってのリーダーシップとは、特殊な出来事が起こった際に必要なものという認識が強く、「日常的に誰もが発揮するもの」とは考えられていない。

日本人はよく「アメリカは個人主義、日本は組織力」などと言うが、これはむしろ反対である。日本では、高校、大学、大学院の進学はほぼ100%個人の成果によって決まるが、アメリカの学校の大半は、入学時に提出させる使用において、過去のチーム体験、チームで出した成果、そのチームの中で自分が果たした役割や発揮したリーダーシップについて詳細に問う。働き始めてからの人事評価も同じで、日本では、管理職以外は個人の成果に基づいてしか評価を受けていないのはなぜなのか。

リーダーシップに関して明確にしておきたいのは、日本に不足しているのは「リーダーシップ・キャパシティ」だということ。これは、「日本全体でのリーダーシップの総量」を意味する。日本経済は、長い停滞と衰退のトレンドから抜け出せず苦悩している。そんな中、私たち国のリーダーである総理大臣を次々と取り換えている。総理大臣が短期間で入れ替わるテクニカルな理由は、政治制度に加え、毎月のように支持率を調査するマスコミの態度にもあるのかもしれない。しかしその根本的な原因は、国民が成果を出せない新首相を短期間で見限ってしまう点にある。国民の支持がないと、「この首相では次の選挙に勝てない」と考える議員の離反が始まり、首相が短命に終わってしまう。著者はその理由を、国民が「トップ一人を変えれば、短期間で一気に何もかもがよくなるはず」という幻想をもっているからだと考えている。一人の偉大なるリーダーを待ち望む気持ちは、誰かが、この大変な現状を一気に変えてくれるはず、という他者依存の発想に基づいている。こういう人を待ち望む気持ちは、裏返せば思考停止と同じであり、神頼みと何も変わりがない。

現在の日本で起こっているさまざまな問題の根底には、リーダーシップ・キャパシティの不足という共通の課題が存在している。日本に足りないのは、専門知識でも技術力でもなく、地頭がいい人が足りないわけでも、日本人が勤勉さを失ったわけでもない。そうではなく、知識や思考力や勤勉さを総動員し、目の前の問題を解決していくためのリーダーシップを発揮できる人の数が、あらゆる場所において不足している。そして何よりも問題なのは、英語力不足問題と異なり、リーダーシップの総量が足りないという問題が広く認識されていないことである。このため大学や企業においても、リーダーを体系的に要請しようという動きが出てきていない。

国も大企業も変革するために必要なのは、一人の卓越したカリスマリーダーではなく、リーダーシップをとる人の総量が一定レベルを超えることなのだ。