7.10.2011

ロボットとは何か ~人の心を映す鏡~ (講談社現代新書)

「ロボットとは何か 人の心を映す鏡(石黒浩著、講談社現代新書)」を読んだ。この本は、機電系学生にしか理解できなさそうな専門的なことが書いてあるわけではない。一般の読者を対象として、大阪大学の工学部の教授である著者が、「なぜ、私は人間型ロボットをつくるのか?」ということに迫った内容の本である。科学技術と哲学の融合された内容に興味を持ち、本屋で衝動買いしてしまった。いつものようにポイントとなる部分を抜き出し、ご紹介させていただく。



「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている」ロボットは、そのような「人間を理解したい」という根源的な欲求を満たす格好の道具である。人類は、新しい革新的な技術を手に入れるたびに、それをロボットの形にしてきた。われわれはあえて意識してこなかったが、常に、技術開発を通して人間を理解しようとしてきたのである。(25P)

「自らの認識と他人の認識は一致するか?」このような疑問の果てに思うことは、「人間の存在とは何か?」「人間とは何か?」という問いである。むろん、この問いに答えはない。かつて、研究者は哲学者でもあった。常に人間とは何かというもっとも基本的な問題を分野を超えて直視していた。ゆえに、さまざまな新しい問題に遭遇し、さまざまな創造的な活動を後世に残した。時代が進むにつれて、そのような研究者は少なくなってきたかもしれない。しかし、偉業を成し遂げた人の伝記を読めば、それぞれに、人間とは何かという疑問に向かい合っていたことに気がつく。人は皆、ある意味において研究者でもあるとも思う。「人間とは何か」という問いを持つのは、おそらく人間だけだろう。「人間が人間らしく生きるには哲学が必要」だと思う。ただ、ここでいう哲学とは、デカルトやパスカルのような難しい哲学を意味するのではない。「自分は何者か?」と疑問に思うだけで十分なのである。(129-130P)

「哲学を持たない者は機械になる」と、ある講演で言ったことがある。その意味は、自分について考えることはすべて哲学であり、その問題を直接的にも間接的にも考えることこそ、人間らしいといいたかったのである。(157P)

「ロボットは人間を支配しますか?」という質問をする人は、しない人よりも、強くロボットの可能性を実感しているのかもしれない。ただ、この情報化社会、ロボット化社会に対するまったく懸念がないわけではない。人と人をつなぐ情報機器が発展してくると、かえって人は人のことをあまり考えなくなるという、反対の側面も出てくる可能性がある。電話のない時代には、手紙をやりとりした。手紙のやりとりには、時間がかかるので、その分、いろいろと相手のことを思い、想像して、手紙を書いた。それが電話ですぐにつながることができると、相手のことを深く考える前に、話ができてしまう。携帯電話にいたっては、気になったときにすぐに相手とつながることができるため、相手のことを考える時間はほとんどなくなった。すなわち、技術の発展に伴い、人間はほかの人間のことを深く想像することなく、単なる情報交換ばかりをするようになっている。言い換えれば、人間は、ずいぶんと身勝手になって、単に通信するだけのような機械になりつつある気さえする。ゆえに、新しい技術や情報機器を受け入れるためには、人間そのものがより賢くならなければならない。哲学を持たなければならないと思う。(210-211P)