4.24.2011

日本人の死に時 ~そんなに長生きしたいですか(幻冬舎新書)

お金がないと、生活がいろいろと制限される。お金がすべてではないけれど、お金がないと、本を読んだり、旅をしたり、人と会ったり、情報を発信したり、芸術と接したり、子どもに投資したり、という文化的生活が制限される。お金だけではない、時間もそうだ。お金があっても、それを使う時間がなければ、十分な満足感は得られないだろうし、その逆もしかりだ。という一般論を述べて、本題に入る。

理想的な人生を考えることは、理想的な死に方を考えることと、意味は似ているようだが実際は違うものである。自身の死を真剣に考えることによって、人生の意味を問い、どう生きるかを考えることにつながる。死ぬ準備(理想の死に方)を前もって考えておけば、理想的な人生を送ることに大いに役に立つ。この当たり前の主張を自分の中で整理・補強するにに役立つのが、「日本人の死に時 ~そんなに長生きしたいですか(久坂部羊著、幻冬舎新書)」である。
私にとって、勉強になった部分、なるほど、と思った箇所を抜き出してみる。


長生きするとどんなことが起きるのか
●排泄機能の低下
排泄機能にも寿命があり、その寿命と、身体のどちらが先に尽きるか。身体の寿命が先なら、垂れ流しになる前にめでたく死ねますが、逆なら下の世話をしてもらわなければならない。
●筋力低下
筋力が低下すると、起き上がれない、着替えられない、入浴ができない、食事、洗面、歯磨きもできない、寝返りも打てないということになります。さらに進むと、声も出にくい、食事も飲み込めない、息をするのも苦しいということになる。
●歩行困難
筋力低下でまず来るのが、歩行困難です。これは脳梗塞やパーキンソン病などがなくても起こります。
●関節の痛み
●うつ病
身体の機能が低下し、容色も衰え、能力も失われます。がんや心臓発作の恐怖に怯え、腰や膝の関節の痛みに泣く。連れ合いに先立たれたり、家族に阻害されたり、社会的な地位や居場所を失ったりということもあるでしょう。当然、気持がふさぐ。これが老人性うつ病の起こる仕組みです。
●不眠
疲れたら眠る。若い人には当たり前のことです。しかし年をとると、眠るのにも体力がいることがわかります。
●呼吸困難
●めまい・耳鳴り・頭痛
●嗅覚・味覚障害
●麻痺・認知症
お断りしておきますが、以上は長生きをすると出てくる症状のすべてではありません。体質や生活習慣によって、もっとさまざまな症状が出ます。もちろんすべての症状が出るわけではありませんし、いつ出るかも人によります。
(19~27P)

むかしはみんな家で安楽死していた
近代医療の発達する前は、たいていの人が自分の家であまり苦しまずに死んでいました。自然に任せておけば、人間はそれほどまでに苦しまずにすみます。
死が苦しくなるのは、人間があれこれ手を加えるからです。放っておけば、そんなに苦しむ前に力尽きて死にます。
今は医療が発達しているので、つい期待してしますのでしょう。たしかに昔に比べて、治る病気は増えました。しかし、こと死に関しては、近代医療とて無力です。治療を受ければ、死を遅らせたり、楽にできるかもしれないと思うのは幻想です。いや、むしろ治療することで、死が苦しくなっているケースのほうが多い。身体は死のうとしているのに、無理やり引き止めるのですから。
安楽死というと、何か積極的に手を下して死なせるようなイメージがあるのではないでしょうか。だから、非道だ、殺人だということになる。そうではなくて、自然に成就する安楽死も多いはずです。
つまり、もう助からないとなったとき、無駄な延命治療をせずに、ある程度自然に任せたほうが楽に死ねるということです。
(145~146P)

求められる“死の側に立つ医師”
多くの医師は、病気を治すことしか考えていません。だから、患者の死からはできるだけ目を背けていたい。死に行く患者や老人は、ある意味で医師にとっては敗北の象徴なのです。
だれでも安心して楽に死にたい。それは当然の重いでしょう。だけど長生きに執着したり、やみくもに死を避けようとしていると、そのチャンスを逃がしてしまいます。どこかで生かす医療から死なせる医療にハンドルを切らなければならない。治すことばかり考えている医師には、その発想がありません。適当な時期に上手に死ぬためには、それを支えてくれる専門家が必要です。それが“死の側に立つ医師”です。
快適な死を支えるためには、幅広い知識と確かな技術が必要です。信頼感や安心感を与える人間的な度量も求められるでしょう。しかし、これまでの医学は病気を治すことばかりに気を取られていたため、快適な死を実現する方法をほとんど確立していません。死を支える医療は、全分野の中で明らかに遅れているのです。
死をマイナスのイメージばかりでとらえていると、いざというときに、必要な医療が受けられません。そろそろ人生のエンディングを前向きに考え、死の側に立つ医師を本気で育てる時代になっているのではないでしょうか。
(166~168P)

寿命を大切にするということ
楽な最期を迎えるためには、自然の寿命を大切にすることだと私は思います。すなわち天寿です。私は長寿には反対ですが、天寿には賛成です。
寿命というものは、不公平に与えられています。他人をうらやんだり、自分のそれを無理に延ばそうとしても、苦しいばかりです。自分に与えられた寿命を十分に生かしきること。それが苦しみの少ない最期につながるのではないでしょうか。
寿命が近づいた段階で慌てても、それは手遅れです。だから、若いうちから悔いのない生き方をしておかなければなりません。長寿を願ったり、健康情報に振り回されている人たちは、今を忘れて、遠い先ばかりを見ているように思います。今を十分に生きていないから、未来に逃げているのでは?
寿命を大切にするということは、ごく当たり前のことをすることです。バランスの取れた食事、十分な睡眠、清浄な水と空気、適度な運動、気分転換、ゆったりとした精神状態など。
(188~189P)