12.23.2010

就活エリートの迷走(ちくま新書)

2010年も残すところ、あとわずかとなりました。本年も色々とお世話になった皆様方、誠にありがとうございました。時間ばかりが過ぎていき、なかなかやりたいことができていませんが、半歩半歩でも常に前進していきたいと思っております。至らぬ点がまだまだ多いですが、来年もお付き合いの程、よろしくお願いいたします。


就活エリートの迷走(豊田義博著、ちくま新書・2010年12月)を読みました。


気になった箇所を引用・要約いたします。

新人・若手の8割がローパフォーマーとなっている要因・背景は大きく3つに分けられる。
一つ目は失敗を極度に恐れるというもの。正解を欲しがり、失敗を嫌う。明らかな正解と分からないと、やりたがらない。失敗を全然してきていないのではないかという意見も多い。
二つ目は、自分の能力を棚にあげて、要求ばかりするというもの。根拠のない主張が実によく聞かれるのだという。
三つ目は、自分が思い描いた成長ルートから外れるとモチベーションが急落するというもの。自分自身の成長発展を強く意識し、その道筋について、自分なりに思い描いているが、そこから少しでも外れると、自分はもうだめだ、となってしまう。
(22~24P)

いわゆる企業の採用基準には「コミュニケーション能力」がほぼ例外なく出てきますが、著者は「コミュ力」として、学生の定義するものと、元来のものとを紹介しています。学生の考えている「コミュ力」は、その場が期待するような話を展開し、空気を読みながらその場をうまく取り成す能力のこと。真の対人能力とは、相手を動機付けて行動を促したり、異なる意見の相手と議論して一つの結論を導くという能力。学生はあたかも「演技」をしているように、自分を使い分ける。集団からの離脱を恐れ、「友人がいる」ことを装い、空気を読んで話題や場をコントロールする。このことから著者は面接という採用手法に限界があることを指摘している。学生の深層にあるのは「不信」だ。右肩あがりの経済化では、自分の未来を前向きにとらえる機運に満ち溢れ、努力すれば報われるという意識が根付いていた。経済的に閉塞する現在の日本では、そうした意識は希薄化し、人生は自分の思い通りにはならない、生まれや運が人生の成功を決めているという意識が強くなっている。こうした価値観、意識が、「うまく立ち回らないと、どうなってしまうか分からない」「いつか、裏切られるかもしれない」という行動につながっている。
(134P、137P、140-141P)

「不信」の意識の高い人は、「ゴール志向」も高いという相関関係にある。「うまく立ち回らないと、どうなってしまうかわからない」から「自身の5年先、10年先のキャリアをしっかりと描かなくては」という志向構造になる。「不信」をベースとして就活に望み、「ゴール志向」を高めることで、意中の企業に入社を果たし、その結果としてアイデンティティ破綻をきたすという不幸なサイクルが生まれている。
(144P)