3.12.2016

子どものまま中年化する若者たち(幻冬舎新書)

「子どものまま中年化する若者たち(鍋田恭孝、幻冬舎新書)」を読んだ。経済格差が学力(教育)格差につながっているとする統計データが出てきているが、著者の言う養育格差も現代の日本の大きな課題の一つではなかろうか。その養育格差の現状が、精神科医という立場から描かれている。



---------------著者の主張(抜粋)-------------------------------------------


若者の主体性とコミュニケーション能力が低下している(気が利かず、不器用になる)。

背景にあるのは、溢れるシステムとバーチャルな世界の影響
→様々に用意されたシステムの中から、リスクのないものを選び、それなりの幸せを求めるようになる。
→バーチャルな体験は、気に入ったものが容易に手が入るので、リアルな世界とのやり取りの面倒くささも避けるようになる



現代の若者が生まれていた時には、すでに子育てのモデルが失われていた。
不安を抱え、無力感を抱え、他者への不信感を抱く若者が増えているのは、虐待はもちろんのこと、母親の不安やイライラにさらされて育つことと無関係ではない。
心に小さな傷を負った子が、ひっそりと生きようとするのは自然な成り行きだ。


思春期は、孤独を意識し本当の仲間や友人を求める年頃だ。
しかし、様々な関係を体験せずに育ったために、人とどのようなコミュニケーションをとればよいかわからないまま、承認不安に基づく承認ゲームに振り回される。
そのうえさらに、空気を読むことも強いられる。

若者たちは、個性を大切にしなさいと言われる、空気を読むことを強いられるという微妙な思春期を送る。
そこでは、与えられたシステムから外れないように、ソコソコに課題をクリアしてひっそりと生きるしかない。

大学も、いまや学生に対して至れり尽くせりの時代だから、多くの若者が比較的無難にクリアしていく。
しかし、卒業すると、突然、激しい生存競争の枠組みに投げ込まれる。
そして、多くの若者は、システムの中で順応する生き方を黙々と続けようとする。
これが、若者にとって唯一、生き残るためのかたちなのだ。
そしてそこにつまずいて途方にくれると、容易に「うつ状態」に陥る。


このような中で、私が今もっとも危惧しているのは、今後、養育格差社会が生まれるのではないかということである。

家族以外の有機的な「群れ世界」が消えた今、子どもを健やかに安定した人物に育てるのは家族だけになっている。
心の健康・強さというのは、学童期(4歳から10歳前後)の育てられ方にかかっていると臨床経験から確信している。
つまり、学童期こそ、個人の生き方・ライフスタイルのベースができる重要な時期である。


では、学童期の養育環境は、その後の人生にどのように影響するのだろうか。

かかわりが濃すぎるパターン→子どもが困らないように先取り的に世話を焼いてしまう。子どもの主体性がダメになる。思春期に入ると、主体的に動けない。皆の中でやっていけないと思うと、ひきこもる。ひきこもった後は、親が世話をし続ける。

かかわりが希薄すぎるパターン→家族を大切にするという思いが希薄で、家庭内に絆や規範が何もないような関係性で育てられると、子どもは、しっかりとした人間的なかかわりを体験できない。思春期に入ると、その場その場で合わせる生き方に疲れ、不登校になって、近所をふらつくか、友達らしき相手の家を転々とするようになる。「最貧困女子」にも容易に陥ってしまう。


親は子をどのように育てればよいのか。

親の不安を少なくし、子どもに集中できる余裕のある状態にすることだ。それゆえ夫婦の協力が大切になる。
学童期に入ったら、子どもが一人で生きていく力を育てるという方向性が必要となる。
まず、大人扱いをすることが大切だ。
自分のことはなるべく自分でさせるようにする。
自分の持ち物は自分で管理させるようにする。
そして、選択に対しては、本人に任せて試行錯誤させるべきだ。
失敗からは多くを学べる。
そうすることで、子どもは迷いながら自分で決める力を育てていく。